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岡山地方裁判所 昭和44年(行ウ)26号 判決 1978年4月06日

原告 東洋ベントナイト株式会社

被告 笠岡税務署長

訴訟代理人 中路義彦 ほか五名

主文

一  被告が原告に対し、昭和四四年四月三〇日付でした

1  原告の昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの事業年度の法人税についての更正処分を所得金額につき一五九万六八五九円を限度とし、法人税額につき所得金額を一五九万六八五九円として算定した税額を限度として

2  昭和四一年四月一日から昭和四二年三月三一日までの事業年度の法人税についての更正処分を、所得欠損金額につき一四八万八二六八円を限度とし、還付税金につき所得欠損金額を一四八万八二六八円として算定した税額を限度として

いずれも取り消す。

二  被告が原告に対し

1  昭和四三年四月三〇日付でした別表二ノ(一)欄記載の納税告知処分

2  昭和四四年四月三〇日付でした

(一)  別表二2(二)欄記載の納税告知処分のうち、賞与の支給額につき八一万五〇〇〇円を源泉徴収税額につき賞与の支給額を八一万五〇〇〇円として算定した税額を超える部分

(二)  別表二3(二)欄記載の納税告知処分について、源泉徴収税額につき賞与の支給額四七万六二〇〇円、報酬の支給額四一万八〇一〇円として算定した税額を超える部分

(三)  別表二5(二)欄記載の納税告知処分について源泉徴収税額につき賞与の支給額五五万五六五〇円、報酬の支給額三八万二〇一〇円として算定した税額を超える部分

をいずれも取り消す。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分しその一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  請求原因1(本件更正処分の経緯)及び2(本件納税告知処分の経緯)の事実については当事者間に争いがない。

二  法人税更正処分の適法性について

1  被告主張の更正の事由のうち、<1>昭和三七年度ないし四一年度分の売上除外(合計四四八万九九五二円)、<2>昭和三八年度分の繰越欠損控除誤算(八三万七六一〇円)、<3>昭和三九年度ないし四一年度分の認定利息(合計一二〇万〇〇三〇円)、<4>昭和四〇年度分の報酬の否認(五五万円)、<5>同年度分の旅費(二四万三二五〇円)及び<6>同年度分の価格変動準備金繰入超過額認容過大(二万〇一八五円)の各加算事由を除いて、その余の更正事由についてはいずれも当事者間に争いがない。そこで、右<1>ないし<6>の各加算について、以下順次検討する。

2  売上除外について

(一)  <証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三七年四月一日から昭和四二年三月三一日までの間、原告の製造にかかるベントナイト(粉末粘土)を別表三の1ないし5のとおりの日時、代金額で、同表記載の訴外各会社が購入していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  被告は、右取引の売主は原告であり、右売上額はいずれも原告の簿外利益であると主張するのに対し、原告は、右取引は守屋弘正個人の取引であるから、その売上は守屋弘正個人の所得に帰属し、原告の所得とは何ら関係がない旨反論するので、この点について判断する。

<証拠省略>を総合すれば、前記(一)認定事実のほか次の事実が認められる。

(1) 訴外有限会社石川製作所は別表三の3(11)ないし倒の各取引を、訴外稲垣鋳物材料株式会社は別表三の3(15)、(16)、同表の4(1)ないし(19)及び同表の5(1)ないし(16)の各取引を、更に株式会社戸原商店は別表三の3(20)及び同表の4(20)の取引を、いずれもその仕入帳(買掛帳)上、原告の社名(或いはこれと同一と認められる「東洋ネンド株式会社」及び「守屋商店」)を売主として記載している。

(2) 訴外有限会社石川製作所及び訴外稲垣鋳物材料株式会社は、別表三の取引のうち右(1)を除く各取引(即ち、訴外(有)石川製作所の別表三の1(13)(14)、同表の2(19)ないし(23)及び同表の3(8)ないし(10)、(14)、並びに訴外稲垣鋳物材料(株)の同表の3(17)ないし(19))については、その仕入帳上、売主として泉水清也(以下訴外泉水という)或いは泉水商店と記載されているところ、訴外泉水は昭和三九年九月まで鋳物材料卸業の訴外株式会社双葉鋳材工業所の従業員であつた者であり、その傍ら、また昭和三九年九月の右会社営業停止後は専ら泉水商店として、原告製品の販売代理をしていたものであり、ただ実際に商品の配達をすることはなく、毎月月末に守屋弘正から電話で集金の依頼を受け、集金をした金員を同人宛に送金して手数料を受け取つていたにすぎなかつた。

(3) 訴外株式会社双葉鋳材工業所は、昭和三七年四月一日以前から昭和三九年九月までの間、継続して原告からベントナイトを購入し、右代金は約束手形にて決算していたものであるところ、右期間中、右取引以外にも別表三の1(1)ないし(12)、同表の2(1)ないし(18)および同表の3(1)ないし(6)のとおり原告製のベントナイトを仕入れ、守屋弘正宛の(一部は訴外泉水宛の)小切手にて代金決済をしていた。

(4) 別表三の売上金額のうち、1の(1)ないし(7)、(10)(12)(13)(15)及び2の(2)ないし(4)、(4)、(6)(7)(9)(20)の各金員は笠岡信用組合守屋弘正名義の預金口座に、2の(11)ないし(13)、(15)(16)(18)(24)(25)、3の(2)(3)(5)(6)(14)(20)ないし(22)及び4の(2)(4)の各金員は同信用組合守屋弘正(架空)名義の預金口座に並びに3の(16)、4の(1)(7)(20)及び5の(2)ないし(9)、(11)ないし(16)の各金員は富士銀行笠岡支店守屋弘正名義の預金口座にそれぞれ入金されていた。

以上のとおり認められ、右認定を左右する証拠はない。

このように、原告製品が販売されている場合において、その取引の相手方も帳簿上原告を売主として処理している場合は勿論、その売買代金が原告の代表者である守屋弘正名義の預金口座に入金されている以上、同人自身の取引と認められる特段の事情の存しない限り、原告の取引と認めるのが相当である。

そこで、右売買はベントナイトの運送途中の破袋散逸製品を守屋弘正個人において回収、売却したものであるとの原告の主張について検討するのに、本件全証拠によつても、守屋弘正個人において右製品の回収、売却をした事実を認めることはできず、却つて、前掲<証拠省略>を併せて考えれば、守屋弘正は前記売上相当額についてこれを自己の所得として確定申告していないこと、売上金額の大きさから考えても単なる余積程度とは考えられないこと、守屋弘正は原告の常勤の代表取締役であり個人の余積み商品の回収売却をする余裕はなかつたと認められるのみならず、訴外泉水は東洋ベントナイト株式会社横浜事務所なる名称を用いたこともあること、以上の事実が認められるのであり、右事実からみれば原告自身の簿外取引であると解するのが相当であるから、原告の主張は理由がない。

(三)  従つて、別表三の1ないし5の金額は原告の当該年度の所得に但し、昭和三七年度分は第一次更正処分五〇万六六七二円の限度でそれぞれ加算されるべきである。ところで、被告は昭和四一年度分の売上除外額を八三万二〇五〇円として加算しているが、別表三の5のとおり、同年度分の売上除外額は六六万一二五〇円しか認めることができないので、右六六万一二五〇円のみが加算されるべきである。

3  繰越欠損金控除誤算について

原告は昭和三八年度分の法人税確定申告において、繰越欠損金の当期控除額を一三三万二二九〇円として申告したこと、被告は右確定申告に対して繰越欠損金を四九万四六八〇円と認定し、右申告額との差額である八三万七六一〇円の損金控除を否認したことについては当事者間に争いがない。

そこで、右処分の適法性について判断するのに、繰越欠損金制度は、青色申告法人の各事業年度開始の日前五年以内に開始した事業年度において生じた欠損金額がある場合に、その欠損金額に相当する金額をその事業年度の所得金額の計算上損金の額に算入するものであるところ、前記2認定の事実に成立に争いのない<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三八年度開始の日前五年以内の所得又は欠損金及び損金控除未済額は次のとおりであることが認められ、同認定に反する証拠はない。

事業年度

所得金額

(円)

欠損金額

(円)

控除未済額

(円)

昭和三二・七-三三・三

六三、〇三二

六三、〇三二

三三・四-三三・九

四四、八七〇

一〇七、九〇二

三三・一〇-三四・三

一、五一五、二六二

一、六一三、一六四

三四・四-三五・三

三、二九六、四四六

四、九一九、六一〇

三五・四-三六・三

四、五三六、三六〇

三八三、二五〇

三六・四-三七・三

一九三、三八一

一八九、八六九

三七・四-三八・三

三〇八、八一一

四九四、六八〇

右認定事実によれば、昭和三八年度において控除すべき繰越欠損金は、昭和三七年度の控除未済額欄に記載された四九万四六八〇円(すなわち、各事業年度開始の日前五年以内において生じた損金を、最も古い事業年度において生じたものから順次繰越控除した結果残つた昭和三四年度分の一八万九八六九円と昭和三七年度分の欠損金三〇万四八一一円の合計額)であることが認められる。

そうだとすると、原告の確定申告額のうち、右認定繰越欠損金額を超える八三万七六一〇円の損金控除は否認され、原告の所得に加算されるべきである。

4  認定利息について

(一)  被告は、原告が昭和三九年度ないし四一年度分の確定申告において計上した守屋弘正に対する仮払金は、原告が守屋弘正個人の債務を同人に代つて弁済したものであるから、原告の同人に対する無利息貸付金と認められ、従つて、右金員に対する利息相当額は原告の所得に加算されるとともに、守屋弘正に対する賞与と認められるから損金算入されないと主張する。

そこで、まず右仮払金が原告の守屋弘正に対する貸付金と認められるかについて判断するのに、<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和三二年七月、守屋弘正が経営していたが倒産した守屋鉱業所(守屋組又は東洋粘土とも称した)の営業譲渡を受けたうえ設立された株式会社であるところ、右設立の際、守屋弘正は訴外広島銀行矢掛支店等に対して約八〇〇万円の債務を負担していた。そして、原告は、このうち笠原寅夫と川面農業協同組合からの債務は原告において承継し、第一期(昭和三二年七月一三日から昭和三三年三月三一日までの事業年度)決算報告書の固定資産の部に「笠原寅夫他」として計上したものの、広島銀行矢掛支店からの債務(以下本件借入金という)については、守屋弘正の要求や、同人が原告の取締役であることから銀行に対する関係も考慮して、原告においてこれを同人に代つて返済することとし、右第一期事業年度中において七万円を同人に代つて返済し、右金額を流動負債の部の「守屋組」勘定科目の中に含めて計上した。そして、爾後昭和四一年三月三一日までの間、別表四記載のとおりの金員を右銀行に対し返済したが、これもその都度その事業年度の決算報告書の流動負債の部の「立替金」或いは「鉱業所」勘定科目に含めて計上し、更に、第七回決算報告書(昭和三七年度)からは、被告税務署員の指導に基づいて本件借入金の弁済額については「仮払金」勘定科目として計上するようになつた。

以上のように認められ、<証拠省略>の記載は<証拠省略>に照らして右認定を左右するものではなく、また<証拠省略>中右認定に反する部分はにわかに採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の事実によれば、守屋鉱業所買収の際、守屋弘正の負担していた債務のうち、その一部は「笠原他」として固定負債の部に計上し、原告自身の債務であることを表示しているのにもかかわらず、同じく守屋弘正が買収時負担していた債務でありながら、本件借入金については右と同様の扱いをせず、却つて、支払済金額を流動資産の部に計上しているのであるから特段の事情のない限り、本件借入金を原告において承継したとは認められず、従つてその弁済の趣旨も、原告自身の債務の弁済ではなく、債務者守屋弘正に代位したものであると認められる。そして、原告と守屋弘正との間において、原告がその負担において本件借入金の弁済をなすべき特約がなされたことの主張、立証がない以上、本件借入金の弁済により、原告は守屋弘正に対して右弁済額と同額の貸付金を取得したものと認められる。

原告は、金融機関特に信用保証協会等行政上の監督を受ける機関は、容易に債務者の名義変更には応じないので、本件借入金は実質上原告の債務であるにもかかわらず、形式上は守屋弘正の債務として処理せざるを得なかつたと主張し、<証拠省略>中にはこれに沿う供述部分が存するが、右証言によつてはまだ原告主張事実を証するに足りず、他にこれを認むべき証拠はない。更に、原告は旧守屋礦業所(笠岡工場)については、地域的隔離性もあり会計上独立採算性を採用したことや、その他経理に関する一般的知識の不足も手伝つて帳簿にわざわざ「守屋礦業所」なる一科目を新設して守屋礦業所に対する関係を経済上の一単位として他と区別し、その間の出納を明らかにしていたのであるから、右呼称を被告税務署員の指導勧告によつて変更したにすぎない本件仮払金は守屋弘正に対する貸付金ではないと反論するが、本件全証拠によるも「守屋礦業所」勘定科目が独立採算制度の表示であることを認めることができない。

してみると、本件仮払金は守屋弘正に対する貸付金と認められるところ、右貸付金に対する利息相当額が年一割であることは、原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなし、右事実に、<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三九年度ないし昭和四一年度の認定利息が被告主張のとおりであり、右経済的利益が同人に対し供与されたことが認められる。

(二)  そこで、進んで守屋弘正に対する本件認定利息が、役員たる同人に対する賞与にあたるか否か検討する。

ところで、法人税法上役員賞与と役員報酬との差異は「臨時的な」給与か否かにあるといえるから(法人税法三四条二項、三五条四項)、法人がその役員に対し与えた経済的利益が、定期的な、すなわち規則的に反復、継続的に供与されたものであれば、利益処分(公然であるか隠れたものであるかを問わず)と認められる特段の事情のない限り、報酬と解することができる。そして認定利息(無利息貸付金の通常利息相当額)のごときは、一定の元本に対し特定の割合によつて計算され、しかも単位期間ごとに当然に発生するものであるから形式上「定期の供与」ということができるのであつて(法人税基本通達(昭和四四年五月一日付直審(法)二五)九-二-一六も右と同趣旨と解せられる。)、しかも、前記認定の事実、すなわち、本件仮払金の発生原因となつた広島銀行矢掛支店への返済は、原告の設立当初から本件係争年度に至るまで継続的かつ長期的になされているものであり、しかも原告の収支決算に左右されず支出されている等、実質上も原告の利益処分とは考えられない事情を考慮すれば、本件認定利息は、原告の守屋引正に対する報酬と認めるのが相当である。

してみれば、本件認定利息を守屋弘正に対する賞与と認定し、右金額(昭和三九年度分四一万八〇一〇円、昭和四〇年度分四〇万〇〇一〇円、昭和四一年度分三八万二〇一〇円)を原告の所得に加算することは許されないというべきであるが、昭和四〇年度分については、後記5で認定のとおり、同年度分の守屋弘正の報酬が過大報酬であると認められることから、同年度分の認定利息も結局は損金計上は認められないこととなる。

したがつて、昭和四〇年度分についてのみ四〇万〇〇一〇円が認定利息として原告の所得に加算されるべきである。

5  過大報酬について

(一)  被告は、原告が昭和四〇年度において、守屋弘正に対し合計二一四万円の報酬を支給したが、右報酬は適正な報酬額を超える過大なものであるから、適正額と認められる月額一五万円を超える部分は損金として認めることができないと主張する。

ところで、過大な役員報酬には、職務内容その他からみて不相当に高額と認められる場合と、定款の規定又は株主総会の決議により定められている限度を超えて支給される場合とがあるところ、<証拠省略>によれば、原告においては定款又は株主総会の決議による報酬額の定めは存しないことが認められるので、守屋弘正の職務を基準として考えることとする。

(二)  そこで、まず守屋弘正の昭和四〇年度の報酬が過大であるか否かについて判断するのに、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和四〇年度、守屋弘正に対して、昭和四〇年四月から六月まで毎月八万円、七月から一一月まで毎月一五万円、一二月から二月まで毎月三万円、三月は二〇万円の合計二一四万円の報酬を支給したこと、原告の同年度の役員報酬は総額で三一八万八三三〇円であり、その内訳は、前記のとおり守屋弘正が二一四万円、同じく代表取締役の訴外寺西源三が四三万一六七〇円及び他の二名の取締役がいずれも各三〇万八三三〇円であること、他方、原告の同年度における従業員に対する支払給与の総額は二七八万九九四三円であつたことがそれぞれ認められ更に、<証拠省略>によれば、笠岡市内の土石採取加工販売を事業目的とする同族会社たる株式会社(別表五のA株式会社)は、昭和四〇年度、その取締役社長に対して六〇万円を、同じく笠岡市内の粘土製造等を営む株式会社(同表のB株式会社)は、その取締役社長に対して一〇八万円をそれぞれ支給していること(なお、右二社の売上金額及び事業所得並びに使用人に対する支払給与は同表のとおりである。)が認められ、右各認定に反する証拠はない。

右事実からすると、原告における守屋弘正の代表者としての地位を考慮に入れても、同人の報酬額は他の原告の役員の五倍以上となつているばかりか、同人ひとりの報酬額は原告の総従業員の給料合計にも匹敵するものであり、更に他の同種企業との比較においても、その報酬が過大であることは明らかであるというべきである。

(三)  そこで、進んで守屋弘正の適正報酬額について検討するのに、前示(二)認定の各事実(同人の職務内容、他の役員に対する支払報酬額、使用人に対する給与の支払状況及び同業種法人の役員に対する報酬の支払状況等)に、<証拠省略>により認められる原告の規模、収益状況等を総合勘案すれば、その適正報酬額は年額一五八万円を相当と解すべきであり、その範囲内で損金算入すれば足りるというべきである。

そうだとすると、原告の守屋弘正に対する支払報酬二一四万円のうち五六万円は損金算入が認められないというべきところ、被告は右金額より少ない五五万円の損金算入を否認しているから、同金額が原告の所得に加算されるべきである。

6  旅費について

(一)  原告が昭和四〇年度分の確定申告において、守屋弘正の海外視察費として三四万七五〇〇円を損金として計上したこと、被告は右申告額のうち三割相当額の一〇万四二五〇円のみを損金として認め、残余の二四万三二五〇円の損金支出を否認したことについては当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右海外旅行の目的は第四回東洋及び東南アジアライオンズクラブ大会出席のためであり、しかも右大会はその決議内容から原告の会社業務とは関係がないから、専ら右大会出席のために費した費用はこれを損金として計上すべきではないとの被告の主張について判断する。

<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(1) 守屋弘正はライオンズクラブの会員であつたところ、ライオンズ国際大会第四回東洋及びアジア大会が、「ライオニズムを通じての市民生活の改善と奉仕」という大会テーマで、昭和四〇年一一月一九、二〇日の二日間香港に於いて開催されることになつたので、同人は右大会に参加することにした。右大会の参加申込は東京都中央区日本橋江戸橋三丁目三番地油脂工業会館内ライオンズ国際協会三〇二日本複合地区中央事務局が統轄して受けつけていたものであり、その申込要領には大会終了後各国視察が計画されており、その日程の違いに応じてABCの各コースに分れていた。守屋弘正は右コースのうち、最も視察国数の多いCコース(東京出発後一二日間の日程で、会費は二四万二〇〇〇円であつた)を選択して申し込んだ。

(2) 守屋弘正は昭和四〇年一一月一四日笠岡を出発し、一五、一六日の両日東京に滞在した後、一八日に東京を出発して香港における国際ライオンズ大会に出席し、その後別表六「行先」欄記載のとおりのCコースの日程に従い、マカオ、バンコツク、シンガポール、台北と順次旅行をして専ら市内の主要な観光施設を視察し、同月二九日東京に戻つた。他方、同人は、大会後の視察日程のうちの自由行動時間を利用して、別表六「用務」欄記載のとおり得意先の輸入業者の海外支店等を訪問した。

以上のように認められ右認定を左右する証拠はない。

(三)  以上の認定事実によれば、国際ライオンズクラブ大会への出席は、その性格、大会テーマからみて原告の業務との直接の関連性を認めることはできず、またその後の各国の市内視察も主として観光目的にすぎないから、右行事に支出した旅費は原告の業務と関連する通常必要な経費として認めることはできないといわざるを得ない。

他方守屋弘正は右旅行期間中、前示のとおりの会社訪間をしており、右行為は原告の業務に関係があると認められるが、右訪問は大会参加Cコースの自由行動時間を利用してなされたものにすぎないから、右旅行全体を原告の会社業務のためのものと解することができないことは明らかである。

ところで、法人税基本通達(昭和四四年五月一日付直審(法)二五)においては「法人の役員または使用人が海外渡航をした場合において、その海外渡航の旅行期間にわたり法人の業務の遂行上必要と認められる旅行と必要と認められない旅行とをあわせて行なつたものであるときは、その海外渡航に際して支給する旅費を法人の業務の遂行上必要と認められる旅行の期間と認められない期間との比較によりあん分」(九-七-九)するとされているが、右通達は当裁判所においても相当であると考えられる。

従つて、本件旅費のうち、前記会社訪問のために要した金額のみを損金として認めれば足りることになるところ、本件旅行所要日数一六日のうち、乗物の所要日数を除いた日数は九日であり、そのうち右会社訪問に要した日の合計は二・五日であるから、その割合は二七・七八パーセントとなるからこれを総旅行費用三四万七五〇〇円に乗じた結果得られる九万六五三六円が本件旅行における必要経費と認められる。而して、被告は右金額を上回る一〇万四二五〇円を損金として認容しているから。右金額を原告の所得に加算すべきである。

7  価格変動準備金繰入超過額認容過大について

原告は昭和四〇年度分の確定申告において、昭和三九年度分の法定積立限度額を超過した価格変動準備金の積立額が九万九八一二円であるとして、同金額を昭和四〇年度分の所得金額から減算して申告したこと、これに対して被告は、昭和三九年度分の価格変動準備金の積立限度超過額は七万八六二七円であるとして、原告の減算額との差額である二万〇一八五円を昭和四〇年度分の所得金額に加算したことについては当事者間に争いがない。

ところで、法人が価格変動準備金の積立限度額(租税特別措置法五三条一、七項)を超過して損金経理の方法により価格変動準備金を積み立てている場合、税務計算上その積立限度額を超える部分の金額は、法人の損金経理が否認され課税されることになる。そして右損金の額に算入された価格変動準備金の金額は、いわゆる洗い替え方式により翌事業年度の所得の金額の計算上全額益金の額に算入されるものである(同法五三条四項)が、翌事業年度において右により全額益金に算入された場合には、前記積立限度額を超える部分は前年度において損金経理を否認されて課税されているのであるから、その部分は翌年度において当然減額されなければならないこととなる、これが価格変動準備金繰入超過額の損金認容である。

してみると、昭和四〇年度の右損金認容額を確定するためには、昭和三九年度における価格変動準備金の繰入超過額を確定すればよいところ、その額が七万八六二七円であることは当事者間において争いがない。

したがつて、原告は本来七万八六二七円を損金として計上すべきであるにもかかわらず、これを超えて九万八八一二円を損金計上していることになるから、その差額である二万〇一八五円は原告の所得に加算されるべきである。

8  以上の次第で昭和三九年度分については、原告の確定申告に対し一九四万〇三五一円を減算することになるから、同年度分の所得金額は一五九万六八五九円、昭和四一年度分については、六六万一二五〇円を加算することになるから、同年度分の欠損金額は一四八万八二六八円、その余の年度については被告の本件更正のとおりであるといわなければならない。

三  源泉所得税の納税告知処分について

1  前記二で認定したとおり、原告は守屋弘正に対し、前記二2、6の金額の賞与を、また、前記二4のとおりの報酬を支給したと解せられるところ、右賞与並びに報酬は所得税法二八条一項の給与所得に該当するので、原告は同法六条により源泉徴収すべき義務がある。

2  そこで、まず、原告は、本件納税告知処分は課税要件充足時(源泉徴収の納期)を誤つた違法な処分であると主張するので、この点について判断する。

源泉徴収の納期は、その徴収すべき日(すなわち支給日)の属する月の翌月一〇日までであるところ、被告は、本件認定賞与の支給日はそれぞれの支出があつたと認められる事業年度の法人税確定申告書を提出した日を含む月(五月)であると認定して納税告知処分をしたことについては当事者間に争いがない。

そこで、本件における認定賞与の各支給日がいつであるかを検討するのに、まず、売上除外金については、守屋弘正個人の預金口座に振り込まれた事実及びその金額をもつてそのまま賞与の支給があつたと認めているのであるから、個々の入金の日をもつて支給日と解するのが相当であり、次に、認定利息については経理の処理上その利息相当額を回収しない意思が明らかとなつた各事業年度終了の日(三月三一日)を、また海外旅費の損金計上否認額については、弁論の全趣旨により右旅費が仮払金勘定から旅費勘定に振り替えられたと認められる昭和四一年三月三一日をそれぞれ支給日と認めることが相当である。

してみると、これらの認定賞与が全てそれぞれの支出があつたと認められる各事業年度の決算確定申告書提出の日を含む月(五月)に支給されたものとしてなされたところの本件各納税告知処分は、この点において瑕疵があるものといわなければならない。しかしながら、納税告知処分は、国と納税者との間の確定した債権債務を告知し、納税義務等の履行を請求する徴収処分にすぎないから、たとえ納期を誤つた告知をしたとしても、既に納税義務が発生しており、かつ、その源泉徴収すべき給与が識別できる限り、本件告知処分に取り消すまでの違法があるとは認めることが出来ない。

3  次に、原告は、売上除外金は守屋弘正の預金に入金されているものの、その収入金は同人において、原告の営業上必要な旅費、交際費等本来原告のための経費とみなされる用途へのみ使用しているのであり、守屋弘正がその利益を亨受したものではないから、源泉徴収の対象たる所得に該当しない旨反論するが、本件全証拠によるも右原告主張事実を認めることはできない。

4  よつて、進んで昭和三七年度分及び昭和三八年度分の源泉徴収義務は時効によつて消滅したとする原告の主張について判断する。

前記2で認定のところによれば、売上除外額については守屋弘正の預金口座に入金の都度その支給があつたものと認められるところ、<証拠省略>によれば、昭和三七年度分及び昭和三八年度分の売上除外金の守屋弘正の各預金口座への入金日が別表三の1及び2の「入金年月日欄」記載のとおりであることが認められる。

右事実によれば、昭和三七年度分の納税告知処分の対象となつた売上除外金は遅くとも昭和三八年三月一三日までに、昭和三八年度分は昭和三九年三月三一日までに(すなわち各事業年度の終了日)、それぞれすべて入金されているのであるから、その納期は昭和三七年度分は昭和三八年四月一〇日、昭和三八年度分は昭和三九年四月一〇日であるところ、昭和三七年度分の源泉徴収の納税告知処分は昭和四三年四月三〇日付で、昭和三八年度分は昭和四四年四月三〇日付で、それぞれなされていることは当事者間に争いがないから、右各告知処分はいずれも納期限の翌日から五年を経過した後になされたものであつて、徴収権の消滅時効の完成後になされたものとして違法である。もつとも、昭和三八年度分については、昭和四三年四月三〇日付で第一次納税告知処分がなされていることは当事者間に争いがないから、右賞与の支給金額の限度において、徴収権の消滅時効は中断したものと認めることができる。

5  してみると、昭和三八年度中に支給された賞与として源泉徴収すべき給与は八一万五〇〇〇円、昭和三九年度のそれは四七万六二〇〇円、昭和四〇年度のそれは四八万五六五〇円、昭和四一年度のそれは五五万五六五〇円であり、また昭和三九年度に支給された報酬として徴収すべき給与(認定利息分)は四一万八〇一〇円、昭和四〇年度のそれは四〇万〇〇一〇円、昭和四一年度のそれは三八万二〇一〇円であるというべきである。

四  結論

そうすると、被告が昭和四四年四月三〇日付でした(二)昭和三九年度分の法人税について、所得金額一五九万六八五九円を超える部分、口昭和四一年度分の法人税について、所得欠損金額一四八万八二六八円を超える部分、また、被告が昭和四三年四月三〇日付でした別表二1欄記載の納税告知処分及び昭和四四年四月三〇日付でした(一)昭和三八年度の源泉徴収税について賞与支給額八一万五〇〇〇円を超える部分(二)昭和三九年度の源泉徴収税について賞与支給額四七万六二〇〇円と報酬支給額四一万八〇一〇円の合計額を超える部分(三)昭和四一年度の源泉徴収税について賞与支給額五五万五六五〇円と報酬支給額三八万二〇一〇円を超える部分は、いずれも違法として取消を免れない。

よつて原告の本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余については理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 早瀬正剛 平田勝美 柴田寛之)

別表一ないし六<省略>

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